狩野川台風 1958年9月26日
750ミリにも達する未曽有の大災害、水田流出448町歩、山林の崩れ760箇所、いたるところで道路が決壊、橋も8箇所流出。死者5名、行方不明4名、重傷5名。伊豆全体では1000人以上の人命が奪われました。
昭和33年9月26日は、魔の日でした。
台風22号(狩野川台風)の襲来で、夜間に700ミリを超える集中豪雨があり、天城山系に1,000箇所にものぼる山腹崩壊が起こり、その土砂・流木により町内では死者9人、全潰家屋100戸、半潰家屋550戸、農耕地の流失500ヘクタールと、未曾有の被害が発生しました。
台風22号
グァム島附近に発生した熱帯性低気圧は9月21日9時に台風22号となり西進、22日午后北上しはじめ、急速に発達し、24日13時30分に877ミリバールを記録した。
暴風半径25米は400~500キロメートルに及び、最大風速70メートル/秒という最大の台風に発達した。
沖縄の東南東650キロメートル附近から進路を北東に変え、次第に速度を増しながら東日本に接近し、26日の昼頃には潮岬の南東200キロメートル附近を毎時50キロの速さで北東に進み、中心気圧940ミリバールとなり、御前崎の南80キロ附近に達した。26日夕刻頃から速度が落ち毎時20キロ位で北東に進み22時頃伊豆南端をかすめ関東に上陸した。
豪雨の概況
台風の影響で25日の昼頃から小雨が降り出し、台風が潮岬の南東200キロ附近に達した、26日昼頃から強くなり、特に伊豆地方では台風の最も近づいた19時から23時頃までが強く大仁では21時から22時の1時間に54.0ミリ、網代では22時から23時の1時間に64.6ミリ、湯ケ島では21時から22時の1時間に120.0ミリを観測した。
降り始めからの総雨量は伊豆地方が最も多く平均して200~300ミリ、天城山の北側では局地的に700ミリを越え湯ケ島では748・6ミリを観測した。
暴風の状況
南部の海岸地方では、25日夜半過ぎから北東ないし、東15メートル位の風が吹いていたが、内陸地方では26日の明方からやや強まり、三島地方では昼前までに15メートル位の北北東の風がふいた。
台風接近とともに強さを増し、伊豆南部を通過するころが一番強く、風向は北よりで最大風速は、県西部で13メートル位、中部で18~20メートル位、東部で20~25メートル、又伊豆南部の海岸地方では35メートル以上に達したところもあった。
しかし、台風が相模湾にぬけるとともに、西部から次第に弱まってきた。